大学へ進学しようとする人は、勉強意欲の高い人々という前提で話を進めます。最近、教育に手抜きをする教官が多いように思います。「大学とは、自ら学ぶところである」ということをいいことにして、教育よりも自分の研究に熱心な先生が多いのです。最近、こうした面について問題になっていて、教授の研究費用まで学生は授業料を払っているつもりはない、ということで、アメリカでは研究は勤務時間終了後に行うべしという主張がなされているのです。文部科学省でも最近、学生の側から見た教育の質の向上に取り組んでいます。それは、これまでの教員の研究を中心とした「教師中心主義の大学」から、多様な学生への対応に重点を置いた「学生中心主義の大学」を目指した、学生の視点に立った教育の充実や、サービス機能の向上を図るべく、「大学における学生生活の充実に関する調査研究協力者会議」というものを発足させています。学生は、今まで教授から成績をつけられる、すなわち「おまえは優秀だ、優秀でない、頭がいい、頭が悪い」と一方的に評価されてきました。しかし、新しい時代の大学というものは、教師が学生を評価するとともに、学生も教師を評価する、いわゆる「授業評価」を行うことができるようにすべきです。これは、大学へ入学してからのことですが、大事なことなので覚えておいてください。
受験勉強としての漢字練習では得点効率を重視しましたが、小学校四年生までの漢字練習では正確性が最優先課題です。字形はもとより筆順、部首、画数、読み(音読みと訓読みの区別)、送りがな、関連熟語などを完全にマスターしなければなりません。とくに筆順は重要で、この時期に習得させないと、のちのちまでメチャクチャな筆順で字を書くようになってしまいます。漢字練習の教材には、次の理由から必ず学校の教科書を使ってください。?漢字は文章中の用法・用例とともに覚えるもので、単発で暗記しても記憶が長続きしません。教科書はこの点への配慮が行きとどいているので教材として最適です。?教科書には原則としてミスがありません。世間には多くの印刷物がありますが、誤植の心配のない、信頼できる文書は官報と教科書ぐらいではないでしょうか。?教科書には字形や画数が正確な教科書体の活字が使われています。たとえば「比」は四画、「糸」は六画ですが、通常の明朝体では「比」は五画、「糸」は八画に見えるため、字形や画数の確認には使えません。
子ども、とりわけ小学生のときは記憶能力に個人差が大きいといえます。すなわち、勉強ができる子とできない子の差が大きいということです。できる子は、一年生や二年生なのに、三年生で習うこともできてしまいます。現在の教育の現場では、できる・できないの差をなくそうという発想が強いようです。文部科学省の授業内容の厳選というのは、能力に個人差があるのなら、全員がわかるレベルに教科書の内容を設定しようということになるわけです。しかしながら、このやり方では、できる子にとって教科書は退屈なものになります。この傾向は中学校でも続き、教科書はできる子どもにとってはつねに退屈なものになります。ちなみに、私の卒業した灘中では、中学校の教科書はレベルが低すぎるが、高校の教科書は難しいので、数学と英語は中学校の教科書を一年ちょっとで終わらせて、高校の教科書を四年かけて教える方針でした。いまは当時とくらべて中学校の教科書の内容がさらに減っているのですから、できる子にとってはもっと退屈なもののはずです。一方で、できない子にしてみれば、小学校のとき以上に難しいと感じるのです。授業の進行の中で、できないところをできないまま放っておくと雪だるま式にわからなくなります。できるところまで戻らないと、なかなか理解できるようになりません。わからないという子どもが多いのであれば、教える内容を減らすより、教え方を変えたほうがはるかに有効なのです。